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薬師曼荼羅 2009年11月3日更新

薬師曼荼羅

【和:
【中:
面白テーマ|彫刻・書画|>薬師曼荼羅

チベットまたは中国
18世紀中期
真鍮;いくつかは一鋳、他のものは数個の部分に分けて
鋳造、彫金、金泥、彩色
14一16cm
ェルミタージュ美術館、サンクトペテルブルク
これらの彫刻は、おそらくウーフトムスキー大公が完全な一揃いのものとして入手したものである。そのことは1905年に出版されたグリュンヴェーデルによるウーフトムスキー大公コレクションの記述にある以下のような所見から明らかである。「これらのブロンズ像は、おそらく釈迦牟尼と思われる中央の大きな像を取り囲む如来や菩薩その他からなる一組の群像を形成している」。しかしながら、所蔵者のウーフトムスキー大公もグリュンヴェーデルも、この群像が実は薬師曼荼羅であるということは分かっていなかった。
 これらの像の制作年代や場所は容易に推察されるーこれらは宝相楼のブロンズ像と同じ作者によって制作されたように思われる。それに加えて、これらの像が中国で制作されたものであることは、ほとんどすべての彫刻の底板や下の隅のほうに彫られた漢数字によって確認される。
 いくつかの彫刻の底板には草書体の漢字の書かれた紙片が残っている(その断片しか残っていないものもある)。それらは、例えばNo.U-626という1体の如来像では以下のように読める。「三号、上屋の仏の後、西から三番目の彫刻」。このような記述は11体の彫刻だけに残っているが、これだけの情報から当初の全50体の構成を再現することは不可能である。いっぽう、方位や3段階の「屋」の記述は、この構成が曼荼羅のものでしかあり得ないことを明らかにしている。
 もとになった曼荼羅はすぐに発見された。それは薬師五十一尊曼荼羅であり、その3番目の作品はサキャのゴル寺で発見された132幅の曼荼羅コレクションのなかにあった。この一揃いの曼荼羅はチベットの儀式書『ギュデークントゥ』に採られているものに基づいている。
 この曼荼羅の中尊は薬師如来である。そのほかの7人の薬師如来と四臂般若仏母が第一の輪「上屋」にいる。  16人の菩薩が第二の輪「中屋」にいる。 12人の財宝神ジャンバラと10人の護法尊が第三の輪「下屋」にいる。四天王は曼荼羅の4ケ所の門にその位置を占める。
 下屋の個々の尊像の図像を論じることは、とても困難である。エルミタージュ美術館の像の図像は経典にもタンカにも一致しない。例外は四天王だけであり、このエルミタージュ美術館の彫刻の図像は伝統的な図像に則っており、正確に4人の尊格に同定することができる。
 経典とエルミタージュ美術館の群像とのあいだにみられる、このようなさまざまの相違は、この群像がもともとは15人の護法尊として知られるような、より大きな伝統的群像を表現したものであった可能性を残している。
 その状況は8人の如来と16人の菩薩についても同様である。経典の記述からは、その多くの像を正確に同定することはできない。この相違の理由は全く明らかでない。さしあたり、18世紀中期にこの一揃いの群像を鋳造した中国の職人は、おそらくジャンキャ派フトゥクトゥの監督下にあって、『ギュデークントゥ』の儀式書を用いていなかったということが窺われるだけである。ゲルク派の経典が諸尊の図像の典拠として用いられた可能性がある。ダライラマ5世も、彼の摂政であったサンジェー・ギャツォもこの曼荼羅について記しており、さまざまに修正した配列を展開している。出所:天空の秘宝チベット密教美術展 2009.09.19更新
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