考古用語辞典 A-Words

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ラマ(おそらくアティーシャか初期のカダム派ラマ) 2009年10月22日更新

ラマ(おそらくアティーシャか初期のカダム派ラマ)

【和:
【中:
面白テーマ|彫刻・書画|>ラマ(おそらくアティーシャか初期のカダム派ラマ)

チベット中央部
12世紀
綿布着色
35.3×27.4cm ジョ・ン・ギルモア・フォード・コレクション
単独のラマが、中央に描かれる。頭をわずかに横に向け温厚な性格があらわれている。これはインドの大学者、アティーシャ・ディーパンカラ・シュリージュニャーナ(982-1054)とされている。彼は、西チベットのイェシェー・ウー王とチャンチュプ・ウー王の招きに応じて、仏法の修行と教えを一新した。1042年チベットに入り、12年間にわたり教えを説き、当時色々な形を取りはじめ、チベット仏教の後伝期に入っていたチベット仏教の各宗派に大きな影響をのこした。この初期の肖像は、後代のものと異なっている。後代のものでは、インド式の赤い帽子をかぶり、仏塔を持ち、旅行用の袋を後ろに描いている。
それがアティーシャであるかもしれないということは、寄進者が、燭台を持つよう聖職を授けられた在俗信徒であったという事実から示される。長い髪なので彼は在俗信徒であり、僧侶の衣を着ているので聖職にたずさわる者だとわかる(聖職を授けられた在俗信徒は、このような僧衣を特定の場合に着ることを許されていた)。アティーシャの一番弟子は、ドムトゥンパ(1064没)という、在俗信徒として聖職にたずさわる者(優婆塞)であった。 1042年アティーシャに会ったときに、燭台に火をともし、それから12年間アティーシャが没する1054年までともし続けたという。ドムトゥンパは、カダム派の本山となったラデン寺を1057年に興した。もし、これがアティーシャでなければ、チベットの後のラデン寺座主のポトワかシェーラプであろう。この人物の帰属を決める要素は、金剛座に座る主尊をつつむ橙色のチベットの座衣(dagam)である。これは、この主尊が、しばしば隠遁して禅定を行った成就者であったことを示す。この肖像の周縁に描かれている諸尊の選択の仕方に、カダム派祖師の肖像の重要な手掛かりがある。
アティーシャと初期の後継者たちは、忿怒形の守護尊である不動と同様、観音と2種の主要なターラーを、宗教儀礼を助けるもので、非常に親密な存在と考えていた。この人物がどの人物であろうとも、このような祖師の肖像をゲルク派の創始者とするのは適当である。ツォンカパは、自分はカダム派の教えを新しくした者であると考えていた。彼は多くアティーシャの考え方を持っており、ラデン寺で主要な著作をあらわしている。ゲルク派自身もまた、新カダム派と呼ばれる。
 この稀少かつすばらしい古い絵画では、主尊は、コントラストのあるかたい色の平板な面に囲まれている。色の重なり合いが、明暗を際立たせるが、アーチ形のカーブがそれを調和させている。きわめて洗練された線が緊張感あふれるものにしている。とりわけ、衣の赤い線は美しくひかれている。
 釈迦と青色の薬師がラマのいる区画の上方左右にそれぞれみられる。上の区画には、金剛界五仏が描かれ、左から、宝生、阿閦、大日、阿弥陀、不空成就、四臂の金色の仏の順に配される。これは、すべての仏の母である般若仏母(プラジュニャーパーラミター)にもっとも近い。下には6区画あり、左から右に、1)長髪で燭台を捧げ持つ僧、2)宇宙の曼荼羅の表現と喜びをあらわす物とが複合した供物、3)白ターラー、4)四青臂六字観音、5)緑ターラー、6)暗青色で剣を持つ不動、である。画面全体と上部下部の神々は、緑・赤・暗青色の宝石で区画されている。このようなデザインは、中央部の11世紀からみられ、12-14世紀に流行した初期のタンカにみられる典型的なものである。出所:天空の秘宝チベット密教美術展 2009.09.19更新
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