考古用語辞典 A-Words

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ラインハルト美術館(スイス) 2009年7月27日更新

ラインハルト美術館(スイス)

【和:ラインハルトびじゅつかん
【英:Sammlung Oskar Reinhart
研究機関|>ラインハルト美術館(スイス)

 オスカー・ラインハルトの館「ロメルホルツ」は、チューリッヒから車で三十分、ヴィンターツールの町外れにあった。館をとりまく森が美しい。 創立者のオスカー・ラインハルトは一八八五年六月十ー日にヴィンターツールに生まれた。富豪であり、美術を愛した父親の遺志を継いで、彼は家を芸術家たちにサロンとして開放し、次々に作品を購入していったために手狭になり、一九二四年にこのロメルホルツの館に移り住んだのであった。そして、そのコレクションを一般に公開することを望み、美術館を造ることを決意し、五百点の十九世紀ドイツ・スイスの画家の作品を市に寄贈した。一九五八年には森の中のロメルホルツの館、土地、美術品、家具が、『今後作品を売却しないこと、購入して足さないこと、他人の寄贈作品を一緒に展示しないこと』などを条件にスイス国家へ贈られた。一九六九年の氏の死から今に至るまで、美術を愛する世界中からの訪問者が絶えることがない。
 二階建てのこぢんまりとした館が蔦に覆われている。周囲の美しい森がこの館をより神秘的に見せている。ロビーは床が大理石で庭が見渡せ、個人の館としては立派である。右側にラインハルトの肖像彫刻が置かれ、左側の壁面に美しいルノワール「裸婦」とヴュイヤール、ユトリロの絵が飾られている。ここから展示室は左の方へ延びている。
 初めの部屋には、十四世紀ごろからのイタリア宗教絵画があり、続く部屋にはどっしりとした家具が置かれ、絨毯、暖炉がある。ここには十四点ほどの絵が掛けられ、なかでもティントレット「グリマリの肖像」、ピーテル・ブリューゲルー世の「雪の中の東方三博士の礼拝」、レンブラントの「炉の前の男」などが素晴らしい。
 居間の右手の部屋は、もとは図書室として使われていた場所で、ここにはデッサンが掛けられ、アングルの作品、ピサロ「静物」、セザンヌ「水浴する女たち」(水彩)、「サント・ヴィクトワール山」、ドラクロア、レンブラント、フラゴナールといった巨匠たちのデッサンの中に、ピカソの「収穫の休息」などが、実によくマッチしている。
 居間をさらに進むと、美術館として使われる目的で増築した部分へとつながる。そのサンルームのような廊下には小さい彫刻がたくさん展示され、ロダン、マイヨール、ルノワールなどが数体ずつ置かれていた。その先の階段を数段おりると、すぐ左側の小部屋がドーミエの部屋で、デッサント点、油彩画が五点あり、どれも小品だが面白い。
 そしてこの先が、一般公開する目的で造られたホールであり、天井がとても高く自然光が入るようになっている広い部屋である。二七点飾られ、アングル「アングル夫人の肖像」ゴッホ「アルルの病院」などどれもいい。ほかに、ビカソ「ソトーの肖像」(九〇一)、ロートレック「女のピエロ」(一八九五)、ルーベンス「犬を抱く婦人像」にもひきつけられた。
 このホールに続く奥の部屋の中央には、マネ「カフェにて」(一八七八)がある。そして、ここではセサンヌの素晴らしい作品とも対面できる。中でも「自画像」「風景」「シャトー・ノアール」などが特に素晴らしい。
 どの部屋も比較的採光がよく、明るく見やすい設計である。ラインハルトの居城から美術館へと変わっていった経緯が建物にもよく表れている。館をとりまく庭は広く、ブールデルの一九一四~一五年制作の「勝利=自由=雄弁」「力」の連作の一メートル大のもの、ルノワール[水浴」、マイヨール「トルソー」などの彫刻が置かれていた。
 建物もコレクションもどれも調和がとれていて、隅から隅まで、ラインハルトの心がこめられている。出所:『美術館へ行こう』長谷川智恵子
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