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ブリュッケ美術館(ドイツ) 2009年7月24日更新

ブリュッケ美術館(ドイツ)

【和:ブリュッケびじゅつかん
【英:Brucke‐Museum
研究機関|>ブリュッケ美術館(ドイツ)

ベルリンのグリューネヴァルトの森の中にドイツ表現主義(ブリュッケ・グルッペ)のブリユッケ美術館がある。一九〇五年、ドレスデン(当時はザクセン王国の首都)で、キルヒナー(ニ十五歳)とブライル(ニ十五歳)、ヘッケル(二十二歳)、シュミツト=ロツトルフ(ニ十ー歳)の四人によって美術家集団「ブリュッケ(橋)」が結成された。その後、エミール・ノルデが一九〇六年に入会し、ブライルは一九〇九年に退会している。一九〇八年にはヴァン・ドンゲンも一時的に会員になった。一九一〇年には会員は六八名を数え、ニーチェやホイットマンに共鳴し、読書や討論を重ねながら共同制作と共同生活を始めていった。「ブリュッケ」という会名は、”世俗に抗して新しい世界の架橋作業〃という意味であるという。一九一一年秋にブリュッケは、展覧会活動を行うのに都合のいいベルリンに移った。しかし、このころから会員相互のまとまりがなくなり、キルヒナーの『ブリュッケ年代記』の作成をきっかけに一九一三年解散した。翌一九一四年には、第一次世界大戦が始まるのである。「ブリュッケ」はドイツ絵画の二十世紀における最初の芸術活動であった。
 一九六四年、シュミット=ロットルフは八十歳の誕生日を記念して、彼の七四点の作品を公開する場所を設けてほしいという条件付きでベルリン市に寄贈した。そこでブリュッケの仲間たちの作品を集め「ブリュッケ美術館」にする案が出された。ヘッケルも協力を申し出、自分の作品を含むブリュッケの会員たちの作品を寄贈した。こうして一九六七年七月に美術館が開館した。その後もノルデ、ペヒシュタイン、オットー・ミュラー、キルヒナーなど次々と所蔵作品は増えてゆき、ドイツ表現主義を一望することのできる美術館となった。
 ブリュッケ美術館は美しい森の中にあり、平屋建てのこぢんまりとした建物であるが、庭からの自然光もうまく採り入れられ、作品が見やすく、かつモダンな設計で魅力的である。まわりの木々の静かなたたずまいと、ブリュッケの仲間たちの強烈な色彩の絵とがハーモニーをつくり出している。
 中心に小さな中庭があり、それを囲んで大きい部屋が四部屋ある。作品を見てゆくと、オットー・ミュラー「草原の二人の女」(一九二一)ノルデの「ギュスタフ・シーフラーの肖像」は黒い背景に紫の顔、山高帽も礼服も黒で強く印象に残る。ロットルフ「髪を梳く女」(一九一九)、キルヒナーの「男の肖像」(一九一三)、ペヒシュタインの名作「漁師の船」(一九一三)、ヘッケルの「マンドリンを弾く女」「風景」、さらにキルヒナーの名品も多く「水浴する女たち」(一九一一)の大作、「カフェにて」(一九一四)、「ベルリンの大通り」(一九一三)などは、すてきな作品である。
 ロットルフも「ローザ・シャピアの肖像」(一九一)、「堤防の決壊」(一九一〇)、「村の片隅」(一九一〇)などが目をひく。「ブリュッケ」の結成される前後(一九〇四-○九)のヘッケル、キルヒナー、ペヒシュタイン、ノルデなどの十数点の作品があるが、この時代には、まだ燃えるような強さは出ていない。
 ニ十代後半から三十代前半の若い芸術家の集団が「ブリュッケ」を結成したころのエネルギーは、それぞれに、見る者の胸を打つ。大きな美術館ではないが、まとまりのあるコレクションで展示の方法もいい。硬い床の美術館が多いが、ここはベージュの絨毯が敷かれていて歩きやすい。壁は白で天井からの光が壁の近くに入るように設計されている。色彩の強い絵が多いだけに、シンプルな部屋の造りが、作品ととてもよくマッチしている。出所:『美術館へ行こう』長谷川智恵子
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