考古用語辞典 A-Words

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石塔  2008年09月25日(木)更新

石塔
【和:せきとう
【中:Shi ta
隋・唐・五代|彫刻・書画>石塔

石灰岩
高98.0 最大径44.0
北涼
 この石塔は一九四三年に敦煙西南の岷州廟(いま七里鎮)で向達氏が発見したものである。近年の人為的な破壊をこうむっているが、甘粛省の敦煌や酒泉、新彊ウイグル自治区のトルファンで十数基発見されている北涼時代制作の石塔と同様、最上端に大きな蓮弁、その下の層に過去七仏と弥勒菩薩の龕像、次の層に十二因縁を説く経文、その下に尊像の痕跡が認められ、おそらくもとは四層あるいは五層から成る弾頭型に近い形を呈し、奉献塔のような意味あいで造られたと推測される。
龕像を刻む層には計八亀像を彫り出していたと思われるが、今は釈迦を含む過去の四仏と交脚弥勒の像を破損した状態で残している。仏の服は大衣の衣文線が上半身の中心線上で同心円状の孤を描くタイプと、大衣の胸前を大きく逆三角形に開きその中に僧祗支(仏衣の下着)を表し、衣端を腹前の手首にかける計二種類のタイプがある。造形としては極めて丁寧に彫り出され、涼州という敦煌周辺を総称する地方の様式を具現している。その一方で、現存する向かって右から第一・二龕の仏がインド・ガンダーラの作中品に見られるような刳型の脚のついた台座に坐す点、また第五龕の交脚弥勒が胸前で左右の手を合わせる形をみせ、この印相がアフガニスタン、カーブルの北のカピシ地方の造形に認められる点など興味深く、北涼が漢文化を基に独自の文化を築く中で西方文化も取り入れていったようすがうかがえる。その下の層の向かって右には縦書きの漢字十一行が残り、人間の苦の原因としての無明(無知)をはじめとする十二の項目の因果関係を説く初期仏教以来の思想内容が刻まれている。おそらく『増一阿含経』「結禁品」にかなり近い位置にある経典から引用されたと思われる。 向かって左上段にはブラーフミー文字(古代インドの文字)が左から右に十一行刻まれ、これをインドのナーランダーで発見された七世紀初めの磚の文字と比較し解読したゴーカレーによると、石塔のブラーフミー文字の内容は右の十一行の漢字と基本的に同じ『縁起経』で、書体は五世紀後半頃ということである。しかし仏・菩薩龕像の着衣形式は、酒泉発見の北涼、太縁二年(四三六)銘程段児奉献塔およびトルファン発見の石塔のそれと近似し、石塔全体の形、構成も他の北涼石塔と同様なことから、本石塔も一連の石塔と同じ五世紀前半の作であろう。
左下段には、この時代に珍しく左から右へ横書きする五行の漢字が残っている。第一行は太陽と月の位置を示し、第四・五行は四人の寄進者名と推測されるので、この塔の奉献に関する部分かもしれない。縦書き十一行漢字の下の層には二重円光背と尊像のあった痕跡が認められる。出所:『砂漠の美術館-永遠なる敦煌』中国敦煌研究院設立50周年記念

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