考古用語辞典 A-Words

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莫高窟第六一窟西壁北側  2008年09月21日(日)更新

莫高窟第六一窟西壁北側
【和:ばっこうくつだい六一くつにしへききたがわ
【中:Mo gao ku di 61 ku xi bi bei ce
宋・遼・金・元|彫刻・書画>莫高窟第六一窟西壁北側

五台山図部分(模写 李振甫)
紙本着色
縦238.0 横373.5
五代 宋
  第六一窟は、五代の帰義軍節度使第四代曹元忠が.天福十二年から顕徳四年(九四七から九五七)の間に開いた莫高窟では最大級の窟で、いわゆる背屏式石窟の典型例である。この形式の窟では、奥の西壁に大構図の壁画を描くことが多く、本窟も西壁の左右長さ十三、四五メートルに及ぶ大壁面に、霊場五台山の五つの嶺嶺に建ち並ぶ大小無数の寺院伽藍を描中い厳小車十大+端製郭宰酌ち鋤打』燿栞許却わ剤牽併串怖台の麓に至る間を写したもの。
一つ巾鈴脚舶囀加却韓煉Ⅶ郵厳帥醍詢僚削輔脚印卵海って文殊菩薩の住所と考えられ、早くから仏教徒の信仰を集めていたが、唐代以降特に隆盛を見、五台山を図すことも行われた。長慶四年(八二四)には、その頃敦煙を支配していた吐蕃が使者を遣わして五台山図を求めており、第一五九窟の文殊変相図下の犀風形式の五台山図はそれに基づいたかと考えられている。
図は、五台山の自然景観をそこに点在する寺院を含めて写実的に描いたものではなく、我が国の参話曼茶羅のごとく、堂塔伽藍を大きく克明に描いて概念的に配置した一種の鳥瞰図で、その間の参道に参詣者や旅人、商人たちを点在させるのみならず、そこで暮らす人々の日常的な営みをも詳細に表して活気に溢れている。
さらに本図では、各種の感応や聖跡・本尊などにまつわるさまざまな縁起説話、高僧の説法の様子などをそこここに描いており、「大法華之寺」の上方には、五台山で仏陀波利が文殊に出逢った故事を、行脚僧(荷を担いだ人とともにいる。)と白衣の老人の姿で表わし、「大仏光之寺」の境内では、椅子に座る僧や官吏、比丘、庶民などがいるが、これは寺の住持解脱禅師の説教の場面とされる。仏光寺は唐代大中二年(八五七)建立の大殿が現存している。また、右下の河北道鎮州城の右を往く駱駝の一隊を変えた行列には、「胡南送供使」と傍題され、天福三年(九三八)に胡南の国主王公が使いを遣わして五台山の諸寺に喜捨させた事績をいち早く描き込むなど、本図は現実と神異感応の類とが共存する歴史名勝地図とも当代の風俗画ともいえる多面性を持ち、同時に絵画性にも富んだ類稀な壁画と言って過言ではあるまい。 約一世紀も前の開成五年(八四〇)、入唐僧円仁もここを巡拝し、義円という僧が画博士に描かせた「五台山化現の図」を贈られ持ち帰っている。出所:『砂漠の美術館-永遠なる敦煌』中国敦煌研究院設立50周年記念

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