考古用語辞典 A-Words

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莫高窟第二七五窟南壁  2008年09月14日(日)更新

莫高窟第二七五窟南壁
【和:ばっこうくつだい二七五くつみなみへき
【中:Mo gao ku di 275 ku nan bi
晋・南北朝|彫刻・書画>莫高窟第二七五窟南壁

四門出遊図(模写 李其瓊)
紙本着色
縦83.4 横174.8
北涼
  本図は、第二七五窟南壁の中層壁画の保存の良い部分を模写したもので、仏伝図の内の「四門出遊」の一部である。画面中央には、上層に設けられた漢式門闕屋形龕とよく似た城門を馬に乗った青年時代の釈迦、シッダルータ(悉達多太子)がくぐり出ようとするところが描かれ、その先には(浄居天が化作した)白髪有髭の老人がいて、その間に立っている従者が、人が年をとると老いてあのような醜い老人になる事を太子に告げている。城門の左は、比丘が描かれていて、北城門外で太子が比丘に会うところであろう。病人・死人と遭遇する他の門外の場面は、損傷して失われた壁面に表わされていたと思われる。
北壁の本生図に較べ、構図の破綻が目立ち、人物描写にもやや生彩を欠く事から、画家を異にすると,見られる。また細部に不明確なところが多く、いまだ「四門出遊」図相形成の揺籃期にあったことを想像させる。
釈迦が、釈迦族の小国カピラヴァストゥの太子であった頃、この憂い多き青年に宮中の歓楽に満ちた日々を厭い、心中に出家の決意をさせたのが「四門出遊」における外界の見聞であった。すなわち城の東門を出て老人に会い、南門で病人を見、西門で死者の葬列を見送って、人生の苦悩の諸相をまのあたりにし、最後に北門を出て比丘(出家修行者)に遭い、自らも人生の苦しみから解脱の道を目指して出家修行の道を選ばせるに至るのである。
しかしこの「四門出遊」説話は、パーリ語聖典など初期仏教経典には見当たらず、仏伝経典が漢訳されていくなかで次第に定型化されたと考えられており、後漢の『修行本起経』、北涼・曇無識懺訳『仏所行讃』、劉宋・求那跋陀羅訳『過去現在因果経』などで明・確に説かれるようになる。本図は、これら漢訳仏伝経典成立とほぼ期を一にしており、キジル石窟壁画の、老・病・死・比丘をまとめて、一ないし二図中に表す若干の作例よりは、(おそらく)四門それぞれからの出遊を描いてこの説話絵画化の進展を示し、北魏時代雲岡石窟第六窟の四門出遊図(浮彫)でほぼ完成する「四門出遊」図相の形成過程を垣間見せてくれる作例と意義づけられよう。出所:『砂漠の美術館-永遠なる敦煌』中国敦煌研究院設立50周年記念

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