考古用語辞典 A-Words

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水運儀象台構造図  2008年08月13日(水)更新

水運儀象台構造図
【和:すいうんぎだいのこうぞうず
【中:Shui yun yi xiang tai gou zhao tu
宋・遼・金・元|>水運儀象台構造図

 水運儀象台は北宋の元祐3年(1088年)に製作された世界で最も占い天文時計。天文の観測,天象の演示,時間の報知をひとつにまとめたもので動力に水力を用いた。
8世紀初め,唐の僧―行は「水運渾象」(水力によって運転する天球儀)を製作し,恒星の位置をあらためて測定しなおした。彼は暦法を修訂するにあたり,その準備に多くを費した。なかでも測量点を選び,実地に測量する方法によって地球の子午線1度の長さを求めたのは世界で最初のことである。
唐代には天体観測でもきわだった成果があげられた。敦燈石窟に描かれている唐代初期の星図には1350個あまりの恒星が標示されている。それらは毎月の太陽の位置によって12段に分けられ,赤道H阿の星群が円筒投影法によって書き分けられるが,その方法は現代用いられている投影法とよく似通っている。
宋元時代には,中国の天文学研究はクライマックスに達した。宋代には5回にわたって大規模な天文観測が行われたが,その4回目は宋の神宗の元豊(1078~1085年)年間に実施され,測定された結果が星図に描かれた。この星図は1247年に石碑に刻まれ現在も保存されている。図全体には1434個の恒星が記され,それに黄通,白道,銀河が描かれる。1608年に望遠鏡が発明される以前の西欧の星図では恒星が最も多く描かれたものでも1022個に過ぎない。また新星,超新星の観測でも宋代は大きな成果をあげた。特筆すべきは, 1054年に牡牛座の付近に現われた新星の観測である。この新星は現代の蟹星雲である
さらに宋元時代に製作された天文器械にも大きな成果をみることができる。蘇頌らが, 1088年に製作した「水運儀象台」には,渾天儀,天球儀,計時装置が設けられ,天体の観測,天体の運行,および,時間の標示がセットとされたのである。宋元時代の大科学者である郭守敬が創製した「簡儀」など13種類の天文器械は精度が高く,使用も簡単で当時世界で最も進んだ観測器械であった。彼は27か所に設置した観測台,観測点を主宰したが,その内の2つは遺址が現存する。ひとつは河南省登封県内にあり、台に置かれた器械はすでに失われたが建築物全体はほぼ
昔のまま成されている。もうひとつは現在の北京市内城東の南隅にあり,明清時代にも使用されていた。明の正統7年(1442年),その跡に建てられた観象台がいまもそのまま残っている。器械の部品は年がたって交換されたが現行する器械は清代初めに造られたものである。明代に復元された「簡儀」「渾儀」は現在,南京紫金山天文台に保存されている。
この時期,計時器械も新しく創りだされた。「水運儀象台」のほかに, 元の延祐3年(1316年)には大型の多壺昇箭式の「銅壼滴漏」が鋳造されている。この器械は4つの銅壺を設けることで水流の安定性をはかり,上の壺から下の壺に順次水を滴たらせ,その水量の増加により木製標尺を上昇させ,その標尺の日盛りで時刻を示すようになっている出所:「中国古代科学技術展覧 中国科学館」

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