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瀟湘図巻2007年12月03日(月)更新

瀟湘図巻

【和:しょうしょうず かん
【中:Xiao xiang tu juan
宋・遼・金・元|彫刻・書画>瀟湘図巻

米友仁筆 
紙木墨画
縦28.7 横295.5
南宋・12世紀
上海博物館
 米友仁は幼名を虎児といい、字を元暉、号を懶拙道人などといった。襄陽(湖北省)の人である。北宋の熙学寧七年(1074)に生れ、南宋の紹興二十一年(1151)に七十八才で歿した。北宋末を代表する文人の一人である米芾の長子で、米芾の「大米」に対し「小米」といわれた。徽宗の宣和四年(1122)に復興された書学の書学博士などの官を歴任し、北宋末の戦乱時には兵火を避けて金壇(江蘇省鎮江)、新昌(浙江省)に移った。宋室の南渡後の紹興七年(1137)には朝参の為、臨安に赴いている。翌年に濮陽の守を拝するが、老年をもって辞し、平江(江蘇省蘇州)の大姚村に赴いて著名な大姚村図巻を描いた。
後に官は将作監、尚書・兵部侍郎、敷文閣直学士、堤挙佑神観などを拝した。晩年は高宗皇帝に侍して宮廷所蔵の書画の鑑定をおこなったという。この瀟湘図巻はかなりの損傷をうけているが、米友仁の山水画風をよく示す逸品として知られる。特徴ある形をもって連なる遠山を背景に、叢樹、家屋、渓橋などの景物のすべてを罔両とした雲烟の中に、淡い水塁墨を用いて次々と自在に表現している。
米友仁は画後の第一跋において「夜雨は霽れることを欲し、暁雲は既に泮る。その状は此に類す。余は蓋し戯れに瀟湘を為して写す。千変万化は名ずべからず。神奇の趣は古今の回家の流にあらざるものなり。」と、その画の新意あることを述べている。南宋の鄧椿は『画継』において米友仁につき「山水は雲烟を点滴し、草々にして成り、しかも天真を失わず」と賞賛するとともに、その余りにも簡略な表現を世間が「無根樹」、「濛鴻雲」(暗くもやもやとひろがった雲)と椰楡したことを記しているが、本図の表現には正に「無根樹」、「濛鴻雲」というべきものがある。本紙の末に「元暉戯作」の款があり、画後に米友仁の二跋の他、南宋時代の諸跋があるが、それらには錯簡があると指摘されている。現状は米友仁第一跋の末に「懶拙老人元暉」の款と「友仁」の朱文方印、紹奥11年(1141)秋の第二跋には「懶拙老人元暉書」の款がある。また、米友仁第一跋の後に紹興五年(1135)の関注、謝笈、韓滸、銭瑞礼、洪适、曾惇、曹筠の跋、米友仁第二跋の後に淳熙六年(1179)の洪邁、尤表袤、表説友、銭聞詩、朱敦儒、朱熹、曹筠、温革、林仰など南宋時代の跋、さらに元時代の張紳の跋、明時代の王彙楷の「瀟湘図考」、沈周、陳宝琛、巻首には、董其昌の跋がある。沈周以降、本図は文人たちの間で特に珍重されたが、明末の項元汴、董其昌、清の呉廷、安岐をへて清朝の乾隆内府に収蔵され、巻首に清の宮廷向家である董邦達の米法山水図が付された。清朝内府の後は羅文彬、周鴻孫の旧蔵品であった。出所:「上海博物館展」

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