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楷書祭黄幾道文巻2007年12月02日(日)更新

楷書祭黄幾道文巻

【和:かいしょさいこうきどうぶんかん
【中:Kai shu ji huang ji dao wen juan
宋・遼・金・元|彫刻・書画>楷書祭黄幾道文巻

蘇拭筆
紙本墨書
縦31.6 横12.7
北宋・元祐二年(1087)
上海博物館
 蘇軾、字は子瞻、東坡居士と号した。眉山(四川省)の人。北宋の景祐三年(1036)に生まれた。嘉祐二年(1057)の進士。初め大理評事鳳翔府簽判、直史館となったが、王安石の新法に反対し、党争に敗れ、杭州通判となり、地方を歴官した。元豊二年(1079)筆禍を受け、黄州団練副使として黄州に流謫された。元祐元年(1086)翰林学士知制誥に遷り、元祐七年(1092)礼部尚書と端明殿翰林侍読両学士を兼ねたが、党争により地方に流され、のち大赦により中央に帰り、致仕して建中靖国元年(1101)に常州で客死した。
元祐二年(1087)、翰林学士知制詰誥として朝延にあった蘇軾が、弟の蘇轍と連名で、亡友の黄幾道のために書いた祭文である。黄幾道は浦城(福建省)の人。名を好謙といい、幾道と字した。蘇氏兄弟と同年の進士。祭文にも記されるように、蘇軾は五年の黄州流謫中に黄幾道と親交した。黄幾道の子黄実の二女はともに蘇轍に嫁し、蘇黄両家は姻威関係にある。
数少ない蘇軾の粘書遺品の中で、元豊六年全○入三)黄州流調四年日に書かれた前赤壁賦は董其により絶賛され、名品として喧伝されている。本作は、それに遅れること四年、黄州謫居から汝州を経て京に召還された二年後、蘇軾五十二歳の作である。蘇軾特有の欹斜な結体は認められるが、前赤壁賦の清健秀媚な筆致に対して、恭謹で沈着した筆調を誇り、より端秀な趣となっている。前赤壁賦とあわせて、東坡楷書中の優品に挙げられるもので、歴代の著録に収められ、かつて「壮陶閣帖」に刻入された。もと明の銭福の跋(弘治十四年・1501)があったが、現在は取り去られている。童其昌の観款、笪重光、王鴻緒、李鴻裔等の跋がある。南宋に黄幾道の後裔黄仁倹の家にあり、明代に華夏、朱大韶、王世貞、曹周翰、清代に笪重光、王鴻緒、顧文彬らの収蔵するところとなった。出所:「上海博物館展」

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