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屈家嶺文化 2007.03.18更新

屈家嶺文化

【和:くつかりょうぶんか
【中:Qu jia ling wen hua
新石器時代>屈家嶺文化

 屈家嶺文化( B.C.2875±220年~B.C.2635±150年)
 長江流域の考古学的調査発掘活動は、主として新中国成立後に開始されました。そのうち最も早く発掘が行われたのが屈家嶺遺址(『京山屈家嶺』科学出版社 1965)です。1955~57年にかけて合計900㎡余りを発掘しました。1959~60年の間に、屈家嶺文化と呼称するようになりました。
 屈家嶺文化はおもに湖北省に分布し、その境域内の遺址としては鄖県青龍泉・大寺、房県羊鼻嶺、均県観音坪、襄陽三歩二道橋、随県冷皮、京山屈家嶺・毛家嶺(「湖北京山県石龍過江水庫工程中発現的新石器時代遺址簡報」『文物』 1955-4 文物出版社.)・朱家嘴(すなわら恵亭ダム、「湖北京山朱家嘴新石器遺址第一次発掘」『考古』 1964-5 科学出版社)、天門石家河、宜都紅花套、枝江関廟山、松滋桂花樹、江陵龍王廟、安陸夏家寨、応城門板湾(「孝感地区両処新石器遺址調査」『江漢考古』 1980-2)、武昌洪山放鷹台、鄂城和尚山、麻城岐亭(「麻城県岐亭鎮発現古文化遺址」『文物』 1957-12)などがあります。北は河南省西南部に達していて、重要な遺址には淅川下王崗(中期)・黄楝樹・下集、唐河寨茨崗(「河南唐河寨茨崗新石器時代遺址」『考古』 1963-12)などがあります。南限は湖南省澧県夢渓三元宮に至っています。西では四川省巫山大渓遺址でも、屈家嶺文化の典型器である高い台脚の付く杯の破片がばらばらに発見されています。
 京山屈家嶺はこの文化の代表的な遺址で、早・晩両大期に区分されます。早期文化遺存中に含まれる石斧・石・石鑿・有孔石鏟などの石器は磨製が一般に粗雑です。黒陶が多く、灰陶がこれに次ぎ、黄陶と紅陶はやや少なめです。
 現在比較的多く見られるものは、屈家嶺遺址晩期を代表とする屈家嶺文化後期の遺存です。磨製石器は増加し、各地でかなりの数量の規格的で形の整った小型の石や石斧などの工芸加工用具が出現し、また少量の有孔石斧・有孔石鏟・石鎌・青龍泉と大寺で出土しているきわめて多くの打製有肩石鋤は、屈家嶺文化の常用農具の一つです。若干の地点で発見されているごく少数の磨製の長方形有孔石刀を除いて、黄河流域とは異なり、ここでは一般にこの種の農具の普遍的使用は行われませんでした。
 屈家嶺文化人は水稲栽培を主体とする農業生産に従事していました。この文化の前期の遺存である朱家嘴、放鷹台、またこの後期の遺存の屈家嶺、青龍泉、黄楝樹を問わず、いずれも建築遺構の焼上中にきわめて多くの稲穀の圧痕が発見されています。その中でも屈家嶺では500㎡余りの焼上内に緻密に固まった層をなして籾殻が混入していました。放鷹台、屈家嶺の標本についての科学鑑定の結果(「江漢平原新石器時代紅焼土中的稲穀殻考査」『考古学報』 1959-4)では、粳(ウルチ)稲に属するものであることが確認されていて、その上これは中国でも比較的大粒の粳稲品種で、現在長江流域で普遍的に栽培されているイネの品種に最も近いものです。
 屈家嶺文化を総合してみれば、石製の道具は以前に比べて改良・進歩しているところがあり、したがって生産効率は向上しました。農業生産が主要な経済活動であり、各地で普遍的に水稲(粳稲)が栽培されました。土器製作業はいちだんと発展し、器種は増加し、一部の土器の形態は規格化の傾向にあり、大型土器・卵殻陶はいずれも焼成が比較的良好です。この時期には社会生産において男子がしだいに主要な労働力となりました。特別なのは、一般に家父長制度と関係があると認められている子授けを願う崇拝物、すなわら男性生殖器の土製ファルスが発見されたことです。屈家嶺文化の社会性質は既に父系氏族共同体の時期に入っていた可能性があります。出所:小林松篁

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