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[書画] 大方広仏華厳経普賢行願品ー浙江省博物館

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発表 2015-5-14 18:23:11 | 全階表示 |閲覧モード
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大方広仏華厳経普賢行願品

大方広仏華厳経普賢行願品

大方広仏華厳経普賢行願品

l帖
紙本、墨書
縦30.0、横9,4
北宋・景祐3年(1036)
1967年、浙江省瑞安市慧光塔出土
浙江省博物館
 慧光塔(舎利容器参照)から発見された折本装の写経。全40巻から成る「大方広仏華厳経(華厳経)」の最終巻にあたる第40巻「普賢行願品」を書写し、さらに釈迦如来讃ほか5つの讃と懺悔偈を加えて1帖とする。
 「華厳経」は、晋代から唐代にかけて3種類の漢訳が作られ、その巻数によって、六十華厳、八十華厳、四十華厳と呼びならわしている。そのうち四十華厳は、第40巻においで、阿弥陀の極楽浄浄土の往生を説く点が大きな特徴で、唐代から阿弥陀浄土信仰の根拠として受容された。本品同様、第40巻のみを書写した写経や版本が中国や朝鮮半島において散見され、広く流布したことがわかる。
 奥書には、中国・北宋時代の景祐3年(1036)梵才大師長吉が、仙岩寺の舎利塔(慧光塔)に納めるために書写したとある。長吉(生没年不詳)は、北宋時代に活躍した天台宗の僧で、天聖年間(1023-1032)、都の開封で訳経事業に従事するなど、あらゆる経典に精通し、詩もよくしたという。
 文字を見ると、四角ばった書体で、やや硬さがある。その理由として、「来」を「來」とつくる点や偈頌を一行に3句ずつ収める点など、版本に共通する特徴が認められることから、版本を底本としている可能性が考えられよう。また、山折れ部分に界線が引かれてないことがら、当初から折木であったことが判明し折本装の写経としてごく早い時期のものとわかる。
 経典を包む帙をにると、金泥で経名を記すほか余白を菊唐草文で埋め尽くしている。その描線は、繊細でリズムがあり、同じく慧光与から発見された経箱やその他の写経に見られる文様に近似する。一連の奉納品が、10年近い年月をかけて有縁の人々によって一つ一つ準備されたことをうかがわせる。
出所:中国王朝の至宝特別展

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